1度湧いて出た違和感には抗いきれない【321日】

1年日記、321日目。
2021年2月25日。

数日後、1週間後、2週間後、と、
日が過ぎて、あとになって考えれば考えるほど、違和感が強くなることがあるのはなぜでしょうね。
やはりそこは、自分の記憶も捻じ曲げられていくからなのでしょうか。
現実世界で見たこと聞いたことその場の雰囲気などの記憶は、常に正しいとも言えない。
過去の記憶は主観的でしかないですものね。
自分の妄想により違和感が肉付けされていくイメージかしら?

あるいは、
あとあと冷静になって過去を振り返ってみたら、当時はスルーしていたことに対して「見落としていた」と気づく瞬間もある。
あとになって理由付けができたり解釈ができるようになったり。
当時のその瞬間では「場の空気に揉まれて」感覚が麻痺しており、細かなことに気が回らなくなることが理由として挙げられる。
(つまり盲目状態)
その場合、本当に意味のないことに対しても、誤って意味付けてしまったりすることもあるのだろうけれど。
ともあれ、「冷静になって考えてみたら、〜だった」と我に返る瞬間は多々あります。

その両方を合わせての違和感です。
主観と客観性、どちらがより多く占めるかといえば、やはり主観のほうでしょうな。
自分から見た世界のことを判断するわけで、客観性など乏しいに決まっている。
そんな主観(>客観)で察知した違和感ですが、これは別の言い方で「勘」とも言い表せるでしょうか。
もちろん自分の勘が常に正しいとは言い切れませんが、一度でも違和感を察知してしまったら、たとえ何度考え直してみても違和感を完全払拭することは難しいです。
違和感が正しかったとしても間違っていたとしても、違和感を消し去ることはできない。
結果、違和感を察知した方向へは近寄らなくなります。
違和感ってとにかく居心地が悪いんですもの。( ̄_ ̄;)

というわけで、
自分の記憶が間違っていても解釈が誤っていても勘が恐ろしく鈍っていても、それでもとにかく違和感があるものには触りません。
「なんかおかしいな」と思ったが最後、違和感に抗うことは難しいと、身に沁みて思った次第です。

因みに、
違和感に従う以上は、どういう結果になろうと許容するのみです。(^_^;)
選択して行動するのは自分自身だから。
そういえば前にも似たようなことを書いたような気が。

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