1年日記、330日目。
2021年3月6日。
・自分と他者とを比べない
(p.232)
幸せを求めすぎることは、幸せでない苦しみを生んでしまう。そもそも、表面的に見えている他人の幸せは、自分にとっての幸せと同じものなのだろうか。
そうではないだろう。
他人の成功や評価にどのような背景があったか、本当のところは分からない。その人の能力が環境にうまくハマっただけかもしれないし、大きな犠牲を払って得たものかもしれない。たまたま運がよかっただけなのかもしれない。外に向けて見栄を張っているだけかもしれない。
池田渓氏著「東大なんか入らなきゃよかった 誰も教えてくれなかった不都合な話」より
自分に自信が持てなかったり後ろ向きな妄想に取り憑かれてしまうときはいつだって「比較」の中に身を置いているとき。
ただ、比較することで「1歩踏み出す勇気が出る」ことも稀にあるので、常に比較が悪いものだとは言えない。
比較が新たな変化を生むことだってある。
大事なのは自分の軸。
自分の幸せが世間に溢れる幸せの基準と一致するのかどうかは、常々考えて行動しなければいけないなと思う次第です。
我に返りよくよく考えてみれば、大概のことは、世間一般と価値観がズレることが多いです。
仕事のあとの晩酌より、
仕事のあとは早寝直行、です。(笑)
高級コース料理よりも、
名もなき地味な手料理、です。(´¬`)
何を幸せだと感じ、何を大事にして優先順位を決めるのか、どんな人生を構築していくのかは、人それぞれだなぁとつくづく思います。
自分は今は、とにかく空手がうまくなりたいです。
うまくなりたいのは「あの人よりも」ではなくて「あの人みたいになりたい」という憧れです。
ある意味「比較」を用いた使い方ではあるのだけど、「あんなふうになりたい」動機での行動は、結果として、自己満足に繋がっていくものなので、自分の幸せを追求した例だと言える。
「空手がうまくなってそれでどうするの?」と、将来のことを訊かれても返答に詰まるパターンです。(笑)
具体的に何かに役立つわけではない(※)のは明白だけど、自分が「やりたい!」と思うことだから、努力している過程も本人は幸せなのです。
(※体力維持&体力向上&代謝向上という面から言えば大いに役立ちます)
損得勘定抜きにできること、が条件のひとつなのでしょうね。
日々忙しい中でも余分に時間を割いてでもなけなしのお金を消費してでもやりたいこと、それを自分なりに追求していく。
それが人生ナリ。