習慣化というベルトコンベアに乗る【338日】

1年日記、338日目。
2021年3月14日。

諸事情あり、嗜好品であるコーヒーを全面的に中止しております。

中止してから1ヶ月経った頃に思ったのは、「案外、飲むことすら忘れる」ということでした。
しばらく飲まないでいると「飲まないもの」として頭が認識するようで、コーヒーの存在自体を忘れてしまう。(*_*)
「食後に飲む」習慣をやめて、いつしか「食後に飲まない」習慣が身についていたみたいですね。
あんなに好きだったコーヒーも、今や「飲まなくても平気」です。
もちろん、飲みたい気持ちはありますけど、目的意識があるため「当面は飲まない」という判断ができます。

この事実から、「習慣化すること」はものすごいパワーを秘めているのがわかります。(´Д`;)
善きことでも悪しきことでも、その内容に関わらず、
無意識下で自ら習慣化させることで、良い方向にもよろしくない方向にも自動的に進んでいってしまう。
しかも、「習慣化」という呪縛のもとで進んでいくので、自ら習慣化を解くことをしなければ、一時停止も方向修正もできません。
しかも本人は無意識なので、ベルトコンベア的に進んでいる今の状態が「普通」だと思い込んでいる。
本人は「普通」そのものでいるため、今を変えることに違和感を感じ「今の生活を変えるのは不自然だ」という認識しか持たなくなる。
なんの疑問も持たないまま破滅の道を辿っていく。

((( ゚д゚;)))

考えるほどにおそろしい連鎖だわー。

というわけで、
今回、自らベルトコンベア式な習慣化を断ち切ることができましたので、他にも解除できそうな習慣がないかどうか見直してみます。
自分自身が無意識に行っていることであるから、それが客観的に見て「変」かどうかは気づかないままでいることが多い。
習慣化する流れが無意識下とはいえ、それが本人の選択であることを考えたら、ある意味では意図的であるとも言える。
普通じゃないことを普通と思い込んだ自分の判断ミスでもあり。

その部分を突き詰めれば「これだけはやめられない」というものなんて、世の中には存在しないのかもしれないですね。
これをやめたら、自分を見失ってしまうと思い込んでいるだけかもしれない。

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