何かを「買いたい」欲はいつまで続くものなのか【281日】

1年日記、281日目。
2021年1月16日。

老後の資金について考えたときの、ついでです。

老後の生活資金の貯金と体力貯金も【277日】

いくつになっても、「あれが欲しい」「これを買いたい」とか、そういうふうに思うものなのか。
過去を振り返ると、
自分も若い頃は、物を買うことにさほど抵抗もなく気軽に買い物を楽しんでいたけど(比較的安価なものの範囲で)、あるとき急にミニマリストに憧れ始めたこともあり、物を買うことに対して慎重になりました。

「置いておくだけ」の用途しかない実用的ではないものを買うことはなくなりましたし、実用的であっても高価過ぎるものに興味はなく、価値よりも軽さや使いやすさや無駄の無さを重視するようになり、ある意味で「見栄」を手放したとも言えると思います。
自分を見栄えよく見せる努力を貫き通すよりも、自分が心地よく使っていけるものを買い集めるようになったというか。
それも、必要最小限の範囲で、複数多く持たない。
物をたくさん持っていても、すべてを使い切れないことを学んだから。
見栄を手放したとはいえ、もちろん、最低限の「物の劣化時期」はちゃんと見極めて交換することには気をつけます。(^_^;)
清潔感だけは大事。

今でこそ、「必要なものしか買わない」スタンスでいるものの、服や物に関して「こういうのが欲しい」という理想は今でもあります。
(なかなか理想と一致するものが見つからないので、購入に至ることは稀ですが)
その理想が、どこまで続いていくものか?
この先、どこかの年齢で「使えればそれでいい」とか、そんな気持ちに落ち着くことがあるのかなぁとぼんやり頭に浮かんだ次第です。

欲しいものがひとつもなくなると、ハリがない?(笑)
でも「あれが食べたい」欲はなくならないと思うので、きっと消えものにはお金を使い続けるのだと思います。
おいしいものは食べたい。(´¬`)

ただ、歳を取るごとに思うのは、物を買って手元に所持していることよりも、行動して経験を記憶に残すことや自ら学んで習得することのほうが重要だったなということ。
「自分に投資する」本当の意味を考えるようになってきました。
10年先、20年先、これから自分の意識がどう変わっていくのか、楽しみに待ちたいと思います。

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