モチベーションの有無ではなく自分に必要か不必要かを判断している【328日】

1年日記、328日目。
2021年3月4日。

そういえば最近めっきり、音楽を聴いていない。(´Д`;)
以前は、文章作成作業中にも音楽を聴いていたし、夜寝る前にも音楽を聴いていたのですが。
今はほぼ無音状態です。
むしろ無音が当たり前になってしまいました。
(あるとしたら生活上の雑音のみ)

それで「作業効率が低下したのか?」といえば、たぶん何も変わっていません。
自分の場合、気分を上げたりスピード感がほしいときに音楽を聴いて気持ちを盛り上げるという使い方をしていたけれど、今となっては、「気分やスピード感」抜きにして、何もやる気がなくても「とにかくやらなければならない」想いが強いので、音楽がなくてもどうにかなるみたいです。
音楽を聴かないと落ち着かないことも多々あったはずなのに、最近では生活の雑音がちょっとうるさかったとしても、疲れて集中力が切れていても、何らかのタスク作業に着手している。
だいぶ心構えが変わったのねえ。(笑)

そう考えると、
「モチベーションを維持する」ことはそれほど必要ではないのかもしれない。
自分の中で「これだけはやらないといけない」と意識してしまえば、やらないわけにはいけなくなるから、どんな状況下であっても優先的に着手するようになるみたいです。
むしろ自分のモチベーションなんて気にしている余裕すらなくなる。
今、やらなければ、自分の望みは叶えられなくなる、
最終的に困るのは自分なのだから。
こわやこわや。(´Д`;)

そのときどきでヒトは気分や感情の浮き沈みがあり、否定的な感情に囚われて「できない」理由付けをしてしまうもの。
でも実際には、意欲があってもなくても努力は続けられるし、気分がノリノリでも気分が乗らなくてもただ「やるか、やらないのか」を判断するだけ。
ある意味、息を吸うように続けられるかどうか。
自分も難しく考えすぎていたなぁと今になって思う次第です。

それでも「やらない」判断を下したなら、それは自分にとって重要ではないことなのだと捉えればいい。
モチベーションの有無ではなくて、自分に必要か必要ではないのか、
「継続」の本体はそういう話なのですね。

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